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2016年1月18日月曜日

葬式とかの話

このブログは一人の個人が
個人的な内容を思いと共に書いているだけなので、
基本的にどうでもいい話がされている事が多いです。

それから、底辺というブログタイトルからも
何となくわかる通り、恥をかく事や笑われる事は承知の上で
踏み込んだ内容もストレートに書くため、
人によっては非常に気分の悪いものになるかもしれません。

という事で普段通りの注意書きです。


○葬式とかの話
 

まず、1月18日でうちの親父が死んで6年目です。
というわけで7回忌でした。

そもそも、人の死と死後にかかるお金の死後ビジネスの話は、
誰もしたくない部類の話ですし、聞きたくないという人も多いでしょう。
今回は直接それに踏み込んだ話というよりも、
結果的にどうしても避けて通れないとしてそこに触れますので、
嫌な人は既に読むのを止めてもらった方が良いと思います。

『人の死んだ時の話なんて悲しいからするなよ』
って皆言うでしょう。
それでいて低所得最大の脅威として避けては通れない話なので、
最も真剣に考えていく部分です。
経済的に余裕がある場合はまた違った意見になると思います。

俺は医療費と葬式代を稼がねばなりません。
そのために生きていると言えるほどです。
そのぐらい人生においてその割合が大きいものでした。

なんか、それだけ聞くと金に執着している感じに捉えられるかもしれません。
それは、こういう話をしようとした時点で仕方ないかもしれないけれど、
現実的に個人で負担しきれない人も増えているという
ニュースを見たことはないでしょうか。
例えば死んだ親の届け出を出さずにいたとか。

この問題の問題たる部分は、
単に金銭的に出せる出せないの部分だけではなくて、
その儀式的レベルをどの程度で行うかが、
その後の社会集落での生き方に影響を与えてしまう事。
もしくは、残された側の人間が影響があると思い込んで対処してしまうこと
にあったりします。

人間の人生に起こった物事に対して対策を講じるという話になると、
正直、ポジティブとかネガティブとか、明るい暗いの線引きだけでは
語れないと思っています。





ざっと短めにシビアな話をしますが、
(かなり中略していきます)

葬式にかかるお金がどれくらいと考えていますか?
と言われてもピンキリとなるでしょう。

仏教的な形をとったとして、
仮に葬式に100万かかったとしたら、
それ以外の部分で更にかかりまして、
一連の49日ぐらいまでの法要(返し)を含めて150~200万ぐらいになって、
その他に 御布施、戒名代などがかかったりします。

今は家族葬や密葬などもそれなりに増えてきたので、
そこまでは掛からないようにも出来るとは思いますが、
一昔前の一般的な形で葬式をするとなると、
かなり一時的にまとまったお金がいるという訳です。

俺は6年前に借金をして葬式をしました。

その時、圧倒的な恥をかきました。
その時、前のアルバイト止めて無職だったからです。
当時30歳でいわゆる定職に就けずにいました。
親戚と近所の人が集まってる前で、
葬儀屋の人が俺に職業を聞いてきて、
無職って答えました。
俺は心の中で「なぜ今聞いた」と思いながら、
そこそこの人数の前で恥をかき、またそれを拡散されたので、
あれは恐ろしい経験でした。



俺の場合は半年間親父が弱っていく過程を見てましたし、
最後の一週間は病院にいて人が
死に向かってどうしようもなくなっていく様を見ていたので、
死んだその瞬間に悲しいという感じではなかった。

ただ、その後の対応に関しては、
とにかく何とかしないと親父が恥をかくと思ったわけで、
経済的に安く済ませなきゃいけないんだけど、
一般的な葬式をあげなければ親父が恥をかくと思ったので、
結果的に100万ぐらい借金して何とかやったんです。
その中には入院、医療費に払った部分もあります。

6年前は家族葬や密葬で行うという感覚はまず無く、
また、地域的に町内で電話連絡が行く仕組みで、
今でいう葬式の感覚とはまた違った部分もあります。

その時に借金できたのはそこだけ見ると、
大変というより運が良かった。
ただ必死だったとしか言いようがなく、
借金そのものは正当化する行為ではありません。

でも、どんなにヤバくても一応形としてまともに出来た事で、
圧倒的な劣等感の中にも、
唯一『なんとかちゃんと葬式および一連の流れを終えた』ということに
ちょっとだけ、気持ちは救われていたのです。

俺は俺で借金してちゃんと葬式をやったと、
そこに関しては恥なくてもいいんじゃないかと思ったわけです。

人生における劣等感の中にもそういう所あると思います。
全部が全部恥ずかしいってなってしまうような中に、
1つでも2つでも、何とか乗り越えたという事実に対して、
若干評価出来るのではないかという、
ギリギリの所でプラスに向かわせる考え方みたいなもの。

それを許してもらえないと、なかなか生きて行けないわけですが。

これはあくまで俺の勝手な意見ですが、
おそらく今後葬式代に困る家庭が、
それなりに増えると思っています。
それは家庭の構造的な環境の問題も含めて。

勿論、みんながみんな俺みたいな低所得ではないですし、
一緒にするなと言われるかもしれませんが、
所得格差等みるにその数は一定数増えていると思います。
 逆に言うと、俺みたいな人間もいますので、
何とか生きる方法はありますと言いたいというか、
どう思われるかは別として底辺の感覚を記しておく事が、
もしかしたら誰かにプラスになるかもしれないかと。

元に戻り

ただ、そこで思いもよらない現実がありまして、
他の事はそれなりにちゃんとやったわけですが、
いわゆる戒名代は出せなかった。
御布施としてもちゃんとした額が容易できなかった。

そして思うわけですね。
「あれ、この戒名。親父が死んだあとの名前、
俺がこのランクしてしまったんだじゃないか」 っていう事に。

他の人が戒名に「何々の文字が入ってると高い」とか、
「長さがどうのこうの」って言ってるのを聞いて、
あ、これもしかして死んだ後に残る名前を
俺が付けてしまったんじゃないかって気づくわけです。

個人的に正直な意見を言わせてもらえば、
金を持ってるかどうか、いくら払ったかどうかで
死んだあとの人間の名前を変えてランク付するなんて、
ふざけてるシステムだと思います。一つも納得できない。

ただ、誰が責めるわけでもないけども、
その名前がついてしまったという事実はあるわけで、
親父は死んだあとに名前で恥をかいてるんじゃないかという
感覚が常にある。

この感覚は何て言ったらいいのか分からない。
普段は「人間死んだ後どうなったって関係ないだろ」って言っても、
死んだ後につけて残る名前を、
俺が低いもので付けてしまったんではないかっていう思いは、
どうしていいかわからない。

俺の都合のいい解釈で、
とりあえず葬式から1年忌まではキッチリやったので、
満足してくれてると思いたいんだけど、
死んだ後残る名前、ずっと残る名前に関しては
どうなんだろうか・・・やっぱり嫌な思いではいるのだろうか。


そして、そんな気持ちをを踏まえた上で
俺は普通にいけばあと2回は喪主をしなければならない環境で、
普通にやるなら2、300万はかかると思う。
そんな金どうするんだ?って思って生きてる。

しかも、本人たちともその話をしたりする。
大体の形で良いって言われても、それですら厳しい。

俺がまとまって金を稼いでないのが悪いって言われると、
まず間違いなくその一点に尽きると思う。

これを普通に給料の良い状況でちゃんと働いてる人と比べて
「お前が悪いんだろ」って言われると、
(俺には俺の言い分もあるんだけど)
それもその通りだなって反論出来ないし、
そこにある無力感は本物ですよ。

もう、絶対過去の経歴の劣等感からは逃げられない。  

けど、まだ何とかするチャンスと時間はあると思うんで、
もう少し頑張ってみたい。
だから長生きしてもらわないと困るっていうのが、
大体会話の締めくくりになってくるわけです。



そんな7回忌を終えたという話。








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